三人寄れば文殊の知恵

こんばんは。

本日は、デザイ画をひたすら描く予定で、バッチリかけた加藤です…。

はい。嘘です。一枚も描けなかった加藤です。

というのも、気になったことを調べてたりしていると、

次々と…これって…そうなると…ということは…もしかして…

こういう事…だったら…こうして…こうすれば…どうなんだろう?

と次々に掘り下げて、ドツボにはまります。

こんな時は、思いっきり考えて見た方が良いかと思いました。

 

ちょっと、前置きが長くなりましたが、昨日書くといった

「3人寄れば文殊の知恵」

凡人でも三人で意見を出し合えば、知恵を司る文殊菩薩にも劣らない

知恵が出せるという諺ですが…。

 

結論から言うと、認識のズレをうまく利用した方がいいよねという結論です。

 

そもそも、知恵が必要なときってどんな時かというと、問題を解決したい

時が、ほとんどかと。

 

(余談です。問題についても、ちょっとググって調べて備忘録でメモして

おきます)

もう一つ掘り下げると、その問題設定が正しいいかとうことになっちゃいます。

問題設定には、5つのステップがあり

1・あるべき姿

2・現状把握

3・問題設定

4・課題設定

5・目標設定

 

話しお戻します。

この問題を解決する時って、基本、今までの経験と知識から解決方法を考える

わけですが、答えを出すまでに「なんか違うなぁ〜」とか、「なんかひっかか

るなぁ〜」とか、「なんか思ってたのと違うなぁ〜」といった「認識のズレ」

 

この「なんか」がとても大切で「なんかって何だろう?」を考えて、その違和感

を探り当てていくことが大切なんだと思います。「自分の認識のピントのズレを

補正していく」作業が必要かと。

 

この違和感は「認識のズレ」から始まるのであれば、一人よりも多人数のほう

が、それぞれの認識も違うのでより生産的になります。

 

同じも問題に対しても、人によって違う捉え方をするので、ズレが発見しやすいですし。

今回の「3人寄れば文殊の知恵」は二人では駄目なのかというと、二人の間に

関係にはもし違いがあれば「一つ」しかないので、二人の議論からは、認識の

ズレは「ひとつ」しか生まれないですね。

どちらかが正しいかという対立に陥りやすいですが、しかし3人だとズレは

「3つ」あるので、「誰かの認識だけが正しい」ということにはなりにくい。

 

ということは「3人寄れば」は、優劣を競い合わずに「気づき合う関係」が生ま

れ、なんかを発見し会える事を可能にし、関係(人が)が多くなればなるほど

認識のズレも増えていく。4人なら6 5人なら10と増えていきます。

 

もっとも、多くなればズレは生まれ安くなるますが、共同で気づき場「打合せ」

「3人寄れば文殊の知恵」場が重要かと思った昨日でした。

 

PS 何かを考える時は、基本自分で考えることが多いですが、企画や現場など

の問題は、2人より3人と「3人寄れば…」という事が結構ありました。

もっとも、それには意見が言える関係性と寄ればの場所が必要ですが…。

迷った時は3人で考えてみるのは如何でしょう?

本日はこの辺で。

また明日!

 

 

 

 

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