FARBの始まり…。

こんばんは。

今回は初めて、同じ日に2回投稿する加藤です。

 

ブログを書いていると、一回の投稿に全く違う内容を書くと

読みにくいし、何が言いたいのかわからにという事に、今更ながら気付

たので分けて書くことにしました。

 

今回なぜ分けたかというと、昨日のFARBの7周年に関してになります。

 

とは言え、昨日から何を書こうか迷っていましたが、やはり始まりの

FARBが出店する背景ついて書きたいと思います。

 

そもそもカラーズは、カスタムペイントショップとして独立しましたが、

面白い事や、やりたい事の延長上に会社と店舗を展開してきました。

以前のブログにも書きましたので、詳細は今回は端折りますね。

という事で、初めて小売店舗出店したのが、

1995年12月にBLACKHILLS

アパレル店を出店 26年前からになります。

 

その後、1999年11月に今のセサミがある一番町にMONITER

(のちに今のGURNGEの店長のSHIHOちゃんも店長としていた

時期もありました。)

2001年9月にDEVELOPMENTをOPEN。

その後、移転をしたりしながら東日本大震災に被災します。

 

 

ここで、当時ブラックヒルズが入っていた角川ビルの使用が出来なくなり

一番町のブラックヒルズとモニターを統合して、一店舗からまた始まります。

かなり、かなり端折って書いてますが、カラーズにおけるアパレルの流れです。

 

面白い事や、やりたい事の延長上から発生したベースにある考えはカラーズタウン。

衣食住をと遊びの部分をカラーズで運営するというのがベースです。

 

その一翼を担う衣のが、モニター&ブラックヒルズになります。

アパレルの立ち上げから携わってきたスタッフの独立もあり、19年目

にしてアパレルの存続の危機に直面します。

 

ここで究極の2択が発生…。

1 カラーズにおけるアパレルの撤退。

2 継続して、何とかアパレル店を継続

 

当時、アパレルの店舗の店長としてお願いできるスタッフもおらず…。

既にSHIHOちゃんも2012年にGURANGE店長として

任せれている状況です。

 

撤退するにも、在庫も抱えて、カラーズタウンの夢も諦めきれず、

悩み続けて結論を出します。

 

結論は、新店舗を出す…。

1でも2でもなく、モニター&ブラックヒルズを閉店して新店舗OPENです。

 

今書いていても、流石にビックリしてしまいます。

 

はい。ご察しの通りこの時点で、アパレルの店長はいません。

何度も書きますが唯一の頼みの綱のSHIHOちゃんもグランジを

立ち上げたばかり大変です。

 

さてさて、この状況下でも、何とかしなければなりません。

さんざん悩んだ末に、ここで登場するのが、良平です。

 

この年に入社したての新人で、初めはMEN AT WORK

(内装部門)に配属されてました。

(最初の作品は、セサミにある黒い什器の塗装です。たぶん)

 

急遽、アパレルの右も、左も分からずにモニターの残務整理から、

新しい店舗の立ち上げをすることなってしまった良平です。

 

当面の間は、カラーズデザインの大内と二人で二人三脚でモニター

に立ちながら新店舗の準備を進めます。

 

やったことのない事に、分からないながらの試行錯誤で始まったのが

Farb-Akkord の始まりです。

 

毎日が試行錯誤の連続で、そんな始まりからの7周年を迎えました。

今でも、試行錯誤の連続ですが、それでもカラーズのカラーズらしい

アパレル店舗を築き上げてくれた店舗になります。

 

ここまでこれたのも、ここまで支えてくれたお客様と右も左も分から

ない状況から試行錯誤してくれる良平をはじめ、スタッフのお陰です。

 

今後も相変わらずの試行錯誤に、上手くいかないことも、

やっちまった~という事もありますが、それも含めて楽しんでもらえる

ようにしていきます。

 

今後ともよろしくお願いします!

本日は、この辺で。

また明日!

 

 

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